
昨日、母校の閉校式典の、本当に最後の最後だけ出席。
何と寂しいことか。

数年前、篠原小学校で味わったむなしさを、
いや、それ以上のやるせなさを感じさせられた。
都会から転校したのが小学校3年の時。
一学年四クラス以上というマンモス校から、
全校生徒でも百人満たない学校へ。
当時、神奈川県で最も古いと言われた校舎は、もちろん木造平屋建て。
築八〇年以上の建物だったはず。
(ちなみに僕はその木造校舎での最後の卒業生でもあった。)
ケンカがこじれてトイレの戸を蹴破ったり、その戸を教頭先生と直したり、とにかくいろいろやったなあ。
もう三〇年以上も前か。
あの頃、特に小学校五年の途中までは、本当に何の屈託もなく、最も輝いていた日々かもしれない。
それほど楽しい学校であった。
少人数での教育では、誰もがちゃんと育ててもらえたのだ。
血の通った教育は、とても贅沢でした。
(小六の時は、僕は道を違えたので、友達をずいぶん減らした。
これは今から見ても、よかったのだろうか悪かったのだろうか、判断に苦しむことなのだ)
絶対に少人数での学校が良い。僕の確信はこの日々にあります。
たのしい子供時代を過ごさせていただき、ありがとうございました。
記録誌に写真を使っていただいたことが良い記念となりました。
四月からは、近隣の(と言っても距離は遠い!)四校が一つの学校になる。一学年が二クラス以上になってしまうのだという。
地域の子供、という意識も薄らぐだろう。
明らかに教育の後退となるのではなかろうか。
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閉校式では、はるばる四国の山中から、杉本先生がいらっしゃってくれていた。
小学校三年、転校時の担任。
授業はユニーク。とにかく生徒に考えさせた。
算数など、一時間に二問だけ。
その難問をなんとか解こうと考え続けた。
派手にしかられ投げ飛ばされたこともあった。
真冬の社会見学では、バスを待つ間に全員に肉まんをおごってくれたり、天童からの出張の帰りには、全員の名前入り将棋の駒をお土産にしてくれたり。
小学校を卒業した年の夏、
すでに故郷に戻られた先生を頼って四国の先生の家までひとりで旅した。
祖谷の奥深い山中の斜面にへばりつくような、藤野よりもさらに山奥。
そういえば、五右衛門風呂でした。
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式典終了後、声をかけられ、近くの旅館へ。
世代を超えての同窓会とのこと。
でも同期もその上も誰もいない。
若者(?)ばかりだ
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でも、何となく見た顔ばかり。
いろいろな人から「gaakuさん」と声をかけられる。
あ、同期の妹の!とか弟の!とか。
それから、僕が六年の時によく遊んでいた
新入生のシンちゃんとケイ君か!
少しずつ時間がほぐれ、何となくタイムスリップ。
おい、同期ども。何やっているんだ?
俺は、相変わらずさ。
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さようなら
吉野小学校。
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